8章の「セモベンテL40 47/32」(86ページ)の解説に、9章の「セモベンテM40、41、42 75/18」(94ページ)と同じ文章が記載されてしまうという誤りが生じています。 セモベンテL40 47/32(86ページ)の正しい内容 セモベンテL40 da 47/32の母体となったL6/40軽戦車は戦前に設計され、37mm砲を搭載して量産される予定であった。しかし量産化は遅れ、1941年から37mm砲にかわりブレダ製35型20mm機関砲が搭載され、1942年末までに283輌が生産された。 しかし、20mm機関砲という貧弱な武装では敵戦車と渡り合うにはあまりにも非力で、この量産化の遅れた戦車がすでに時代遅れになっていることをイタリア軍では1940年に認めていた。 そのため偵察車輌として使用することとしたが、一方でこの戦車のシャシーをより大きな砲を搭載した自走砲に利用する案が検討され、そしてそれは決行された。 搭載砲はM13/40戦車に用いられていた32口径の47mm砲が、扱いやすく性能も良かったため採用された。そして1941年の始めには試作車が完成し、その後セモベンテL40 da 47/32として量産に移された。 イタリア軍では、この車輌を歩兵および騎兵部隊の近接支援兵器として配備することとした。もっとも生産開始後まもなくして、もはや32口径47mm砲ですら対戦車砲としては威力が不十分であることが判明した。それでもセモベンテL40は、1943年までに約300輌生産された。 セモベンテL40 da 47/32はほとんどすべてが実戦配備され、主に北アフリカ、シシリー、イタリアで使用された。 またセモベンテL40は後に78輌がドイツ軍に接収され、この内16輌が1942年に編成されバルカン半島へ投入された、Pz.Kp.z.b.V.12「第12特殊戦車中隊」へ配備されたことが知られている。残りの車輌は1944年にクロアチア陸軍に売却されている。ちなみにドイツ軍での本車の名称は「47/32搭載L6突撃砲770(i)型」という。 |
125ページ上写真のキャプションが、欠けていました。 正しい内容 前方の民家から煙が見え、散開した歩兵が立って前進しているので、援護の15cm重歩兵砲sIG33の役目は済んだらしく、クルーは伏せて状況を見ている。15cm sIG33を背面から見るのも珍しいが、防盾にCとあるのは三番砲(カエサル)を示しているのだろう。左にKar98K機銃を手にした兵がいるが、彼のコートはオートバイ伝令など乗車部隊用のゴム引きの防水コート(灰色)である、1943年のロシア。 |
122ページのキャプションの3番目が、欠けていました。 正しい内容 ●下 5人の迷彩スモック姿のクルーたちが、3.7cm Pak35/36対戦車砲を移動させようとしている。東部戦線ではロシアの巨大なKVやT-34にポンポン跳ね返され、役立たずといわれるようになったが、本来歩兵用の対戦車火器は数人で引っ張って歩け、ヤブに隠せて500mから必殺弾を浴びせられるべきで、大きさはこのくらいがいいのだ。 なお、127ページの巻末広告の「第2次大戦 ドイツ歩兵in ACTION(3)」に関して、8月号別冊と書かれておりますが、9月号別冊(8月下旬発売)の間違いです。 |
39ページ下のキャプションに誤りが生じています。 正しい内容 M43規格帽の陸軍将校と話している降下猟兵の少尉は防暑服の上衣にウールの降下ズボン(右脇のナイフポケットに注意)を組み合わせ、9mmベレッタMP38A短機関銃をかついでいる。後方の迷彩スモック姿は袖章(カモメが3羽)から曹長で、降下鉄帽を黄土色にするときに赤白黒のワッペンを塗り残している。ズボンの裾はまとめて軍靴や靴下にたくし込んでいるようだ。 |
新規作成日:2003年1月6日/最終更新日:2007年5月19日