尖閣警備
本項は 「海上保安庁パーフェクトガイド」掲載用として整理したものをもとに掲載しており、更新なき場合、2005年3月のデータにもとずいています。
また、掲載出版内容と異なる部分も多々あります。
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尖閣警備
尖閣諸島は明治28年1月14日の閣議決定により、正式に我が国の領土に編入されたが、当時、同諸島の領有権について問題となることはなかった。
しかし、昭和43年秋に行なわれた東シナ海海底の学術調査の結果、東シナ海の大陸棚には豊富な石油資源が埋蔵されている可能性があることが指摘され、これが契機となり昭和46年以降、中国、台湾が同諸島の領有権を公式に主張し始めた。
近年には、周辺海域で中国海洋観測船の調査活動が活発となり、また、中国による海底油田掘削などが問題となっている。
このような動きを踏まえ、海上保安庁では、尖閣諸島周辺海域の安全や治安を確保するために、第十一管区を中心に常時巡視船艇や航空機を配備し領海警備を行っている。
平成9年春には、抗議船や、わが国の団体による行動など、緊張が高まり、海上保安庁では、総力を挙げて領海警備を行ったため、予定されていた海上保安庁観閲式は中止となる事態も発生している。
関連する事案のうちいくつかを紹介すると
- 昭和53年4月、日中平和友好条約締結に向けた交渉が行われている中、突然、約100隻の中国漁船が尖閣諸島に接近し、領海侵犯、領海内不法操業を行うという事件が発生した。
これに対し、海上保安庁は対策本部を設置するとともに、最大時には巡視船10隻、航空機4機を投入し、これら中国漁船が付近海域から退去するまで、約2ヶ月半の長期にわたり警備を実施した。
- 平成2年8月、尖閣諸島の領有権を主張するために、「台湾地区スポーツ大会」の聖火リレーを行っていた台湾船2隻が、魚釣島周囲の領海内に侵入するという事件が発生した。
海上保安庁は、巡視船、航空機により退去勧告を行い、領海外へ退去させた。
- 平成8年7月、国連海洋法条約が我が国について発効したことから、排他的経済水域の設定に伴う漁業活動への影響を不満とし、また、尖閣諸島北小島に日本の団体が灯台の用に供する構造物を設置したことに対する抗議として、台湾・香港等で「保釣活動」と呼ばれる領有権主張の活動が活発になった。
- 平成8年9月には、香港から出港した抗議船が領海内に侵入し、活動家数名が海に飛び込み、1人が溺死するという事故が発生した。
- 平成8年10月には、台湾・香港の活動家等が乗船する小型船41隻が領海内に侵入するとともに、4人が魚釣島岩礁に上陸している。
- 平成9年5月には、30隻の台湾抗議船等が尖閣諸島に接近し、そのうち3隻の抗議船が警告を無視して領海内に侵入し、その際、活動家2名が巡視艇に飛び移るという事案が発生したが、全船を領海外へ退去させ、不法上陸を防止するとともに、関係省庁の判断に基づき、この2名を台湾抗議船に引き渡して強制的に退去させた。
7月にも、1隻の台湾抗議船が尖閣諸島の領海内に侵入する事案が発生したが、領海外へ退去させた。
- 平成10年6月には、香港及び台湾の抗議船等6隻が尖閣諸島領海付近に接近し、このうち香港の抗議船「釣魚台号」と同船から降下されたゴムボートが、領海内に侵入するという事案が発生した。
その後、領海外に退去させられた「釣魚台号」は、遭難信号を発信し、乗員は付近の台湾抗議船及び巡視船に救助されたものの、「釣魚台号」には人為的原因によると思われる浸水が発生しており、海上保安官が、応急的な漏水防止措置等を施したが、しばらく漂流した後、荒天等のため魚釣島付近海域で沈没した。
尖閣諸島の概要
尖閣諸島は東シナ海に浮かぶ我が国固有の領土で、魚釣島、久場島(黄尾嶼)、大正島(赤尾嶼)、北小島、南小島等の島々からなっている。
一番大きな魚釣島からの距離は、石垣島まで約90浬(170km)、沖縄本島まで約225浬(410km)、台湾までは約90浬(170km)、中国大陸までは約180浬(330km)の距離がある。
同諸島は明治28年1月14日の閣議決定により我が国の領土に編入され沖縄県の所轄となり、現在、魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島は土地登記上石垣市字登野城となっており、それぞれ地番をもっている。
明治29年ころには魚釣島や南小島でカツオ節や海鳥の剥製等の製造が行われており、魚釣島には、船着場や工場の跡が今も残っている。
新規作成日:2005年5月7日/最終更新日:2005年1月18日