2632 横須賀港 横須賀鎮守府長官官舎(田戸台分庁舎)、記念艦三笠

2632 横須賀港 観測記 令和4年4月8日 金曜13:30〜17:00

今日は、横須賀鎮守府長官官舎(海上自衛隊田戸台分庁舎)の公開があるので横須賀へ。
ここは、平成17年4月9日 以来。
11:50西小山⇒12:02/12:08武蔵小杉⇒12:22/12:28横浜・快速特急⇒12:46金沢八景⇒13:03県立大学。県立大学駅は、京急安浦駅から改称されている。
例年花見のシーズンに公開されているが、今回は、コロナの影響で、開催が遅れた結果、旬を過ぎていたような。
13:30入場、14:20出場。

続いて、記念艦「三笠」へ。
京急に乗ってもよいのだが、結局そこそこ歩くことになるので、徒歩で直行。
15:02 三笠公園。15:20乗艦。
記念艦「三笠」は、平成23年5月27日 の、記念艦「三笠」復元50周年記念行事以来。
甲板の張り替え工事中。
艦内展示は、今風にきれいに整備されている。
航海シミュレーターがそこそこ面白い。
17:00下艦。
磯丸水産テイクアウトで。
17:48横須賀中央・快速特急⇒18:23横浜・F特急⇒18:30武蔵小杉⇒西小山にて撤収。


今日もTDSのダッフィーくん、シェリー・メイちゃんのぬいぐるみを連れて行って、いっしょに撮影。今日のお洋服は、大日本帝国海軍/大礼服、矢絣/袴

今日のレンズのラインナップは、18-140,12-24。
D7500/18-140, (D7100)
撮影枚数約255。 うちのダッフィーくんが49。


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海上自衛隊田戸台分庁舎は、旧海軍時代、横須賀鎮守府長官の宿舎として、1913年(大正2年)に建設された。当時の横須賀鎮守府長官は、アメリカ海軍兵学校を卒業した海軍中将瓜生外吉男爵であり、令夫人は1871年(明治4年)日本政府が初めて勉学のためアメリカに送った数名の女子留学生に選ばれ、1881年(明治14年)にはアメリカの大学を卒業している。
この官邸を企画設計に当たった横須賀鎮守府施設部長桜井小太郎氏は、1890年(明治23年)ロンドン大学建設学科を卒業し日本人として始めて英国公認建築士の称号を得た人物である。
田戸台分庁舎は瓜生御夫婦と桜井小太郎氏の3人の博識と創造力による合作でできた。
初代入邸者は海軍中将東伏見宮依仁親王であり、以来1945年(昭和20年)終戦まで34代(31人)の歴代長官が居住した。
終戦後、アメリカ合衆国に接収され、1964年(昭和39年)まで9人の在日米海軍司令官等が居住した。1969年(昭和44年)防衛庁に移管され、現在、海上自衛隊横須賀地方総監部が管理しており、国内外高官・要人の接待、レセプション、観桜会、各種の会議場として使用している。


記念艦「三笠」について
三笠は、明治35年(1902年)にイギリスで建造された戦艦であり、日露戦争においては東郷平八郎司令長官が乗艦する連合艦隊の旗艦として大活躍しました。特に、明治38年の日本海海戦では、ヨーロッパのバルト海から派遣されたロシアのバルチック艦隊を対馬沖で待ち構え、集中砲火を浴びながら勇敢に戦い、海戦史上例を見ない圧倒的な勝利に大きく貢献しました。
日露戦争は、帝政ロシアの極東進出により、存亡の危機に立たされた日本が、イギリスやアメリカの支持を受け、国民一人一人が力を合せて戦い抜いた防衛戦争であり、この戦いに勝ったことにより、日本は独立と安全を維持し、国際的な地位を高め、また、世界の抑圧された諸国に自立の希望を与えました。
大正12年、1923年に現役を退き、大正15年に現在の地に記念艦として保存され、国民に親しまれていましたが、太平洋戦争後、占領軍の命令により大砲、マスト、艦橋などが撤去され、見る影もなく荒れ果てました。
その後、「三笠」を元の姿に戻そうとの声が内外で高まり、多くの人々からの募金、政府の予算、アメリカ海軍の支援により、昭和36年(1961年)に現在の姿に復元されました。


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新規作成日:2022年5月14日/最終更新日:2022年5月14日