2579 小松、福井 福井県立恐竜博物館、福井城址、北ノ庄城址、越前大野城、一乗谷
2579 小松福井観測記 令和2年11月9日 月曜 〜 11日 水曜
新型コロナで世の中大騒ぎだが。。。
その昔、3.11の東日本大震災の影響で感染行事が激減し、舞浜へ通うことが多くなっていたが、新型コロナでは、世界中が自粛モード。
日本国内ではなんとかピークを凌ぎ、徐々に緩和が進んではいるが、自衛隊などの公的組織や、TDRなどの大規模有料施設は、なかなか緩和が進まない。。
ということで、お城めぐりを企画。
ブラタモリでもやっていた一乗谷が面白そうだ。
交通費のカタログ値は、JR 米原経由 05:41発09:14着 14,308円 、航空機 06:28発09:55着 27,241円。
が、パック料金にすると大差なかったりで、所要時間はともかく、到着自体は電車のが早いが、手配の都合で航空機利用。
GoToの割引以前に、片道の運賃だけで15000-27000というのに、パック料金で2泊を含めて15000程度って。。。
ということで、11/2手配。
JAL楽パック
JAL 183便 34A窓側-->47A窓側
東京(羽田)空港発 7:40発 ⇒ 小松空港着 8:40着
JAL 192便 39K窓側
小松空港発 20:10発 ⇒ 東京(羽田)空港着 21:15着
旅行代金合計 23,300円
クーポン利用 【国内ツアー】<GoToトラベル>1月までのご旅行で使える最大35%OFFクーポン(先着利用3万枚):8,155円
支払金額 23,300円-8,155円(クーポン利用)-0ポイント= 15,145 円
GoToトラベルキャンペーン 地域共通クーポン 3,000円 相当
ホテルエコノ福井駅前
〒910-0859 福井県福井市日之出1-1-17
電話番号 0776-23-5300
去年、三沢/八戸、小松、熊本 に行ったときは、休日を含む一泊二日で35000前後だったから、GoToの割引はともかく、売り手は大変そうだ。
とりあえずの目標は、福井城界隈、一乗谷、越前大野城。
と、現地の交通機関は、かなり少なそう。。。
接続等を考えると、いろいろ厳しい。
と、空港-福井のバスが、、運休中と。。。
乗り換え回数が増えるほど、接続のタイムラグが。。。
タクシーと特急で乗り継いでもいいんだが、それでも綱渡りだし、、だったらもう一泊入れといた方がマシだったとも。。。
小松空港は、小松航空祭で来た、令和元年9月16日 月曜 〜 17日 火曜 以来2度め。と、予約時点で確認した天気予報では、いい天気のはずだったが、、、何やら雨マーク。。。
雨の日の翌日がいい天気だと、天空の城が拝めそうなのだが。。。
湿度と気温差など、なかなか条件は難しい。
一乗谷の日にお天気を求めれば、順番を変えるか。。。
本格的な雨なら、外を歩くのも大変だし、屋内が良いが、福井県立恐竜博物館 にするか。。。
いずれ小松には来ることもあるし、福井市内はその時でもよいし。
2579w1 小松、福井 羽田⇒小松、石川県立航空プラザ、福井県立恐竜博物館、北ノ庄城址
2579w1 小松福井観測記 令和2年11月9日 月曜 晴れ/曇り/雨 6:00〜21:00
前日起きるのが遅くて結局寝れず、4:45起で、5:10出。
5:28/5:33戸越⇒5:40/5:49泉岳寺・エアポート快特⇒6:07羽田空港国内線ターミナル。
6:20 荷物預けて、保安検査。が、小松便の最寄りのところ「G」はスカイマーク専用とか。「F」「G」中間で確認したおねーちゃんは行き先だけ聞いて「G」でもよいといっていたが。。。6:35?保安検査通過。
7:00-7:10 第1旅客ターミナル エアポートラウンジ/POWER LOUNGE NORTHで一服。7:15搭乗まち。7:30?搭乗、着席。7:40?ドア閉め。
JAL183 7:40羽田⇒8:40小松 47A窓側。
7:43プッシュバックののち、7:50タキシング、7:58 C滑走路(RW34R)に進入、加速して離陸^^ 右旋回で新木場あたりを左旋回して陸の上。まっすぐ小松に向かい、南側から着陸。
フライト中の電子機器の使用が緩和されたので、離着陸から写せるのだが。。。
8:54 降機、荷物回収。
9:06-9:25 石川県立航空プラザ。
先般退役したB747政府専用機の貴賓室が再現されている。
9:40⇒9:52 バスで小松駅へ。
特急券を手配し、ホームへ。が、乗車位置の表示は、足元ではなく頭上w。
10:05小松・特急しらさぎ⇒10:35福井。
10:45 ホテルエコノ福井駅前 に荷物あづけて。
GoTo地域クーポン使用で、「えちぜん鉄道 恐竜博物館セット」調達。
11:05-11:10 駅前の恐竜。
11:25福井⇒12:19勝山/12:30バス⇒12:42恐竜博物館前。
勝山駅に、電気機関車 ML6、木造二軸貨車 ト68 が保存展示されていた。
13:00-16:35 福井県立恐竜博物館。
16:43バス⇒16:56/17:19勝山⇒18:12福井。
18:26 ホテルエコノ福井駅前 に戻って、雨の通過待ち。
19:40 駅前の恐竜。
20:15 なか卯 でお食事。
20:59 北ノ庄城址 の様子見だが、暗い。
21:05 ファミリーマート。
-26:20 データ処理
今回もTDSのダッフィーくん、シェリー・メイちゃんのぬいぐるみを連れて行って、いっしょに撮影。今日のお洋服は、JAL/パイロット、CA、レインコート。
。
今日のレンズのラインナップは、18-140,(18-140),12-24,150-500,50☆。
D7500/18-140,, D7100, 12-24
撮影枚数約1208。 うちのダッフィーくんが177。
石川県立航空プラザ
屋外
HSS-2B 対潜ヘリコプター(海上自衛隊)
KM-2(海上自衛隊)
屋内
ピッツS-2B(元エアロック・エアロバティックチーム所属機)
ジャイロプレーン
ピラタス PC-6
エンバスVP-1
菱和式ツバサW-1-1
OH-6J(陸上自衛隊、ヘリコプター)
T-33A(航空自衛隊)
F-104Jスターファイター(航空自衛隊)
F-2モックアップ
T-2ブルーインパルス
ドルニエDo-28A
ビーチクラフトE33 ボナンザ
富士 T1
ベル47G-2
TH-55J(同上、練習用ヘリコプター)は、アスベストの問題で撤去らしい。
2579w2 福井、越前大野 福井城址、天空の城、越前大野城、武家屋敷 旧田村家、武家屋敷 旧内山家、大野市民俗資料館、北ノ庄城址
2579w2 福井大野観測記 令和2年11月10日 火曜 晴れ/曇り/小雨 8:00〜17:00
6:15目覚め、6:30-朝食。
7:20 駅前の恐竜。
ちょっと時間があったので、7:28-7:45福井城址を外周一巡。
7:55バス⇒9:00越前大野。
停留所が60以上あるのに、約60分で着くような時刻表だったから不思議だったが、足羽川河口堰を過ぎて山間に入ると、乗降客も信号もなく。
9:20 亥山城址。
9:35 藩主隠居所。
9:43 結ステーション。
越前大野城を天空の城として見られるという戌山へ。10:12駐在さんに道を聞くと、他ではクマもよく出るしお勧めしないと。
10:28 とりあえず上るが。。。
普通のお城への道があるわけではなく、時にはロープ伝いなどの急な坂。
上った分おりなきゃいかんし、くじけそうになったが、10:53ラスト100mで小休止ののち10:58 到着。がたちまち天気が崩れ。。。降りるときに足下が危なそうなので、他にましなところがあるか聞くと、来たたルートが一番ましらしい。
途中結構降ってきたが林の中のおかげでほとんど濡れず、11:39降りたころには晴れ間も。
朝のバスで、同じく観光客っぽい人が乗っていたが、越前大野駅前で降りず、そのままヴィオまで行ったようだが、戌山に登るには、その方が近かったようだ。
続いて、11:59 越前大野城/城門。これもまた登山。12:40-13:09天守。建物は鉄筋コンクリート。新型コロナ対策で熱を測ろうとするんだが、汗かいていると、測定不能やら34.4°やら。。。13:40 北側から下山。
13:42-14:10 武家屋敷 旧田村家。割とこじんまりしていて、どんな身分の人かと思えば、ご家老300石らしい。
14:15-15:00 武家屋敷 旧内山家。こちらもご家老筋らしいが、建築年が明治15年というから、それは武家屋敷とは言わないような。
大野市民俗資料館。
この先、大野市歴史博物館も寄ってみたてかったが、登山でくたびれたので撤収。
15:40大野六間・パス⇒16:34柴田神社。
-16:45資料館を見て、-16:56明るいうちの北ノ庄城址。
17:12 ホテルに戻り、18:00 ふくちゃりを借りて、ステーキ宮へ。-19:50 お食事。ふくちゃり返して20:18。
-24:45 データ処理
今回もTDSのダッフィーくん、シェリー・メイちゃんのぬいぐるみを連れて行って、いっしょに撮影。今日のお洋服は、羽織、振袖、打掛。
。
今日のレンズのラインナップは、18-140,12-24,150-500,50☆。
D7500/18-140,12-24,150-500, (D7100)
撮影枚数約1137。 うちのダッフィーくんが109。
越前大野城
越前大野城は、大野市北西部に位置する大野盆地にある標高約249mの亀山に築かれた平山城です。 安土城が築城された前年、天正4年 (1576) 頃、織田信長より大野郡の3分の2を与えられた金森長近により、4年の歳月をかけて築城されました。 土台となる石垣は、自然石をそのまま積み上げた野面積み(のづらづみ)という工法で作られています。 現在の天守は、昭和43年に絵図や同時代の城を参考に再建されたもので、内部には歴代城主の遺品が数多く展示されています。
住所: 大野市城町3-109
電話番号: 0779-66-0234
営業時間
(4月〜9月)午前9時〜午後5時
(10月〜11月)午前6時〜午後4時
定休日: 12月〜3月
入館料:大人300円・小人無料
ホームページアドレス: http://www.onocastle.net/
撮影スポットへの3つのルート
「天空の城 越前大野城」の雲海を見るには、越前大野城の西、約1kmにある犬山(戌山(いぬやま)城址(市指定文化財) 標高324m)の南出丸下から見ることができます。
撮影スポットに行くための犬山登山コースには3つのルートがあります。
どのコースも犬山の登山道を徒歩で登るため、注意が必要です。
鍬掛(くわかけ)コース(天空への小径)
ほたるの里コース
みくら清水コース
2579w3 福井、小松 福井城址、一乗谷、養浩館庭園、福井市立郷土歴史博物館、小松⇒羽田
2579w3 福井一乗谷観測記 令和2年11月11日 水曜 晴れ 8:00〜21:00
6:15目覚め、6:30-朝食。
ちょっと時間があったので、7:24-福井城址へ。7:31 御廊下橋。7:33-7:43 山里口御門
7:50バス待ち。
8:00京福バス[62]東郷線⇒8:39復元街並み。
福井県立 一乗谷朝倉氏遺跡資料館 は、展示替えで今日から休館。
9:00 自転車を借りて、
9:09 上城戸、
9:21 一乗谷郵便局、
9:21 御所安養寺跡 更地。
9:31 上城戸、
9:40 盛源寺/石仏。 建物が公民館のよう。
9:50 富田勢源道場跡 更地。
10:12 一乗谷あさくら水の駅、
10:14 足羽川河口堰、
10:39 西山光照寺跡、
10:49 JR越美北線(九頭竜線)通過。
10:52 下城戸、
11:10 朝倉景鏡館跡 更地。
11:20 平面復原地区、
11:45 瓜割清水 、
11:49 朝倉館跡/唐門、
11:55 朝倉義景墓所、
11:58 湯殿跡庭園、
12:03 中の御殿跡、
12:14 諏訪館跡庭園、
12:33 朝倉館跡/唐門、
12:42-13:25 復原町並、
13:46 朝倉館跡/唐門、
13:53 湯殿跡庭園、
13:57 南陽寺跡庭園、
14:10 復原町並、
14:55復元街並・特急バス⇒15:20福井駅。
ホテルで荷物預けて。
15:32-15:43 福井城址、天守台跡。
15:50-16:20 養浩館庭園、16:25-16:58 福井市立郷土歴史博物館。
17:01 福井城舎人門遺構。
17:20 ホテルで荷物回収。
17:46(定刻17:40)福井・特急サンダーバード31号⇒18:15(定刻18:09)小松。
18:20バス⇒18:35小松空港。
18:40-お食事。
荷物をあずけて。
スカイラウンジ白山、と思ったら、19:30までとか。
保安検査場を通過して、搭乗まち。搭乗開始、20:00?着席。
JAL192 20:10小松⇒羽田 39K窓側。
南風で着陸するなら、舞浜側が見えるところだが。
20:09 ドアクローズ、20:11 プッシュバック、タキシング、滑走路に進入、加速して20:21 離陸。
羽田空港A滑走路(RW34L)着陸。 21:07 到着、21:19 降機。21:29 荷物回収。
21:48羽田空港・エアポート急行⇒22:17/22:19三田⇒22:28戸越。
今回もTDSのダッフィーくん、シェリー・メイちゃんのぬいぐるみを連れて行って、いっしょに撮影。今日のお洋服は、羽織、着物、JAL/パイロット、CA。
。
今日のレンズのラインナップは、18-140,12-24,150-500,50☆。
D7500/18-140, D7100/12-24,
撮影枚数約1337。 うちのダッフィーくんが158。
総撮影枚数約3682。 うちのダッフィーくんが444。
一乗谷
福井県立 一乗谷朝倉氏遺跡資料館
城下町遺跡から発掘された貴重な出土品や遺跡に関する歴史資料、模型などを展示し、一乗谷文化を分かりやすく紹介しています。
下城戸
かつての要塞都市の跡を標すものです。
一乗谷を防御するため、谷の南北に築かれた城門のひとつ、北側の入口にあたります。谷が最も狭い所で大きな岩を使って敵の侵入を防ぎました。高さは5m、長さは20mあり、45t以上の岩が使われています。
西山光照寺跡石仏群
ここは天台宗真盛派で、一乗最大の寺院でした。付近には40体程の石仏を中心に多数の石仏石塔が残っています。
平面復原地区
この地区には幹線道路が南北に走り、西の山際には多くの寺院跡があって、土塁、柿経、卒塔婆、墓地などが発見されています。道路沿いには、大甕を、並べた紺屋をはじめ、数珠屋、鋳物屋、檜物師、刀研ぎ師などの職人の家や坪庭のある医者の家が建ち並び、町屋を形成していました。
南陽寺跡庭園
館跡の北の高台にあり、3代貞景が娘のために再興した尼寺。将軍足利義昭を迎え花見の宴を催した時にふたりが詠んだ歌の碑が建てられています。
瓜割清水
当時の儀式や当主の生活用に使われたと考えられる湧き水。400年経った現在も澄んだ冷水が湧き出し人々の生活の水として使用されています。
湯殿跡庭園
一乗谷で最も古い庭園と推測され、戦国時代の気風を漂わせる巨大な山石をふんだんに使った荒々しい石組みは壮観です。
館跡を登った高台にあって、あらあらしい石組に驚かされます。室町前期と推定される古風な石組が原型を保って残っています。
唐門
義景館跡の入口に建つ唐門は江戸時代に設けられた松雲院の正門。質素な中にも堂々とした気品を称える遺跡のシンボル。桜との競演が見物で、年中ライトアップされています。
朝倉氏五代義景様の菩提を弔うために建てられたお寺、松雲院の正門です。江戸時代前期の建物で、豊臣家が移築寄進したと伝えられています。
義景館跡
一乗谷の領主の館です。5代目 義景様が住み、三方が土手と濠で囲まれ常御殿、主殿、会所などの建物が真中の日本最古の花壇を囲み、その外側に台 所、 厩、蔵などが建っていました。
中の御殿跡
義景の母、高徳院の居館があったと言われ、屋敷の礎石や池跡が残っています。山麓を削りだして造った屋敷跡で、土塁に囲まれ、山側には2mの空濠もあります。
復原町並
ここでは、塀に囲まれた重臣の屋敷が山際に並び、計画的に造られた道路をはさんで、武家屋敷や庶民の町屋が成形されていた様子がリアルに再現されています。発掘された塀の石垣や建物礎石をそのまま使い、柱や壁、建具なども出土した遺物に基づいて復原されています。
諏訪館跡庭園
諏訪館は朝倉義景の妻「小少将」の館で、その庭園は遺跡の中でも最も規模の大きいものです。中心の4m余りの巨石は、滝石組をなしており、全体に水平感と垂直感を基本にして安定感のある構成になっています。この石には、江戸時代末に彫り込まれた3代貞景、4代孝景等の法名が残されています。
御所安養寺跡
文明5年(1473)に朝倉孝景によって建立されたと伝え られ、天文16、17年(1547、48)には、著 名な儒学者である清原宣賢が『大学』『中庸』の講義をおこなった 寺で、一乗谷の寺院の中でも格式の高い寺院でした。発掘調査で は、数棟の建物と石垣、溝、池など寺院跡の一部を確認することが でき、これらの建物群の背後にある小さな谷内には、現在も多くの 石塔類が残っています。
上城戸
かつての要塞都市の跡を標すものです。
一乗谷を防御するため、谷の南北に築かれた城門のひとつ、南側の入口にあたります。一乗谷川と山に挟まれて狭くなったところに土塁が築かれています。高さ5m、長さ50mあります。
富田勢源道場跡
朝倉氏に仕えた中条流剣法の達人・富田勢源に、小次郎が剣術修業をしたとされる道場跡。小次郎はここで剣を学び、修業の旅に出発。
盛源寺石仏
このお寺には 多くの石仏や、おおきなおじぞうさんが安置されています。
福井城
福井城は、徳川家康の二男・初代福井藩主・結城秀康が慶長11年(1606)に築城し、約270年間17代にわたり越前松平家の繁栄の舞台となった名城。築城当時は高さ37m・四層五重の雄大な天守閣と三重の堀をもっていたと言われますが、大火で焼失。現在では石垣と堀の一部だけが残されています。また、福井の名の起こりとなったという「福の井」と呼ばれる井戸跡が天守台下にあります。
養浩館庭園
養浩館は福井藩主松平家の別邸で、江戸時代には「御泉水屋敷(おせんすいやしき)」と称されていました。庭と密接な関連の基に建造された池の周囲の書院建築の数々と、広大清澄な園池を主体とした回遊式林泉庭園(かいゆうしきりんせんていえん)は江戸中期を代表する名園の一つとして広く知られていました。
福井大空襲で建造物が焼失しましたが、昭和57年に国の名勝に指定されたことが契機となって、文政6年の「御泉水指図」により近年、整備が行われました。現在では、建造物・池だけでなく玉砂利・石組・樹木も四季折々に風趣が漂い、庭園の趣を楽しめます。
〒910-0004 福井県福井市宝永3丁目11?36
開館(利用)時間
9:00〜19:00(3月1日〜11月5日)*ただし入館は18:30まで
9:00〜17:00(11月6日〜2月末日)*ただし入館は16:30まで
北の庄城址・柴田公園
北の庄城址(きたのしょうじょうし)・柴田公園は、柴田勝家(1523?〜1583)が築造した北庄城の一部が考古学的発掘により初めて検出された遺構の上にあります。徳川期に結城秀康(1574〜1607)がその遺構を大胆に改変し福井城を造営していった様子も地層の切り合いの中で確認することができます。
その後、藩政時代はもとより、明治維新後から戦後・現代に至るまで、この場所は福井の都市的中心部として発達してきました。その意味で北の庄城址・柴田公園は、県都福井市の発生期を偲び、その後の発展の歴史的形成過程を物語るかけがえのない史跡であるといえます。
さらに幾度か被災しながらもその度に甦り、近年公園と隣接する地に、あたかもこれを護持するかのように柴田神社が再建整備され、勝家公およびお市の方が合祀されています。このことによって柴田神社は氏子のみならず、全国の勝家・お市の方ファンがお詣りに訪れる神社となっているのです。
園内には、勝家公、お市の方、三姉妹の銅像が建てられているほかに、勝家公の子孫であるとされる日本画家、平山郁夫氏揮毫による記念碑もご覧いただけます。園内の資料館では、より詳しく勝家公や北庄城について知ることができます。この公園は、平成19年に『日本の歴史公園100選』にも選ばれました。
柴田勝家は織田信長から49万石を与えられ、数年の歳月をかけて築かれたと言われています。天正11年(1583)、豊臣秀吉の軍に攻められた勝家は、自ら火を放ち、妻のお市の方や一族とともに壮絶な最後を遂げ、同時に北の庄城もわずか8年という短い命をとじた。現在、柴田神社には柴田勝家の像をはじめ、北の庄城の唯一の遺物や鬼瓦、勝家の時代に造られた足羽川・九十九橋に使われたという石柱、九頭竜川に掛けられた舟橋をつないだ鉄鎖が大切に保存されています。
九十九橋の橋脚
九十九橋(つくもばし)は、北陸道と足羽川が交わる地に架けられた橋ですが、江戸時代には半石半木の珍しい橋として全国的にも有名でした。半石半木とは、橋の南半分が石で、北半分が木で造られるという構造のことを意味しています。
この橋が架けられていたという記録は朝倉時代にもありますが、半石半木の橋として架けたのは、文献、絵図等の研究から勝家公だと考えられています。九十九橋の復元
江戸時代前期(貞享2年:1685)の「越前国地理指南」では「大橋 長八拾八間 幅三間 板橋四拾七間 石橋 四拾一間」とその大きさが記載されています。
石橋の部分は全て笏谷石で作られ、橋脚の長さは立てる場所によって異なりますが、2.5m〜2.8mと推定されています。江戸時代の二百数十年の間に九十九橋の架け替え工事は、記録としては十回以上あり、最後の工事は安政元年(1854)でした。また、明治7年(1874)に半石半木の橋として最後の架け替え工事が行われたと記録されています。
舟橋の鎖
舟橋とは、川に舟を幾艘も並べて、その上に板を渡すことで架けられる橋のことを言います。古くから舟橋は造られており、全国的にも地名などにその痕跡を読み取ることができます。舟橋の鎖
展示されている鎖は、北陸道が九頭竜川と交わるところに、柴田勝家公が天正6年(1578)に渡したと伝えられる舟橋で用いられていたものです。この時の舟橋の大きさは不明ですが、江戸時代後期の「越前国名蹟考」では、舟橋にかかわる多くの記事が記載されています。その中では、川幅105間(190m)、橋長120間(216m)とも記されています。
また、勝家公の舟橋にまつわる話として、舟橋に用いる舟を越前海岸の各浦から集め、鎖は「刀さらえ」で集められた武器を利用して作ったと伝えられています。
柴田勝家像
お市の方像
三姉妹像
北の庄城址資料館
午前9時〜午後6時
住所: 福井市中央1-21-17
新規作成日:2020年12月1日/最終更新日:2021年1月14日